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BRAIN SCIENCE |
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訪問留学 J1
Visaでの留学 3年の留学を終えJohns Hopkinsから帰国、京都での研究生活をスタートさせた矢先に再びHopkinsから呼ばれる。研究の続きをしに夏に滞在しないかというのだ。今回の名目はVisiting Student。もう戻ることはないと思っていたボルチモアで、今度は一ヶ月間ラボに寝泊りするサバイバル研究生活が始まる。 ■1
J1Visa取得の情報源 Visa情報 2003年8月からテロの影響ですべてのVISA申請者に領事による面接が必要になりました。 在日米国大使館 近畿地区にお住まいの方は DS-2019 同時に送られてきたDS-2019のExchange Visitor Certificationの下にサインをします。 ここに書かれている入国日付より前の30日間に入国しなければならない。30日より前に入国することはできないし、日付よりあとに入国することもできない。 このほかにCONFIDENTIALと赤いスタンプのあるシールされた郵便を受け取る。 DS-156 非移民ビザ申請書 (メインの申請書) DS-157 非移民査証補足申告書 DS-158 そのほか 当日は大阪のアメリカ領事館へ。敷地のないビル。朝9時ごろについてみると外国人が数名いるだけ。近くのドトールで暇をつぶす。眠すぎるので、エスプレッソを。 気づいたこと 昔のI-20、昔のパスポートなどは必要なかった。昔のパスポートにVISAがある場合には必要になることもあるよだ。 財政証明書は必要なかった。Hopkinsから給料がでているためと思われる。 英語の能力証明も必要なかったと思う。 ちょうど1週間後の24日の木曜日にJ!Visaの貼られたパスポートが郵送された。はやい。 ■4出国 入国審査では、Secondary Inspectionなる部屋へ連れて行かれた。以前I-20にStudent ID Numberなるものを記入し忘れていて連れて行かれた恐怖の場所だったので、びびったが、今回は他の学生大勢まとめて連れて行かれたので安心。I-20がSEVISという名のもとすべてオンライン処理されるようになったため、いろいろと入力が必要ならしい。いずれもテロの影響大。しかし、問題なく終了。 もうくることはないと思ったJohnsHopkins大学に1年たたないうちにまた戻ってきてしまった。今回は学部の管轄になるようで、以前の医学部のInsternational Officeではなく、学部キャンパスのそれにいく。キャンパスの道の向かいにある、ちいさなおしゃれな一軒家で、普通の住宅がなぜか大学の事務所になっているおしゃれなところ。ここも問題なく終了。住所がきまっていないのが非常にやりずらかったが、教授の家の住所などを書いてごまかす。 給料は週毎にチェックで支給される。基本的に学生のバイトという扱い。秘書が毎週タイムカードに勤務時間を書いたものをくれて、それにサインをして別のオフィスに持っていく。 ■5 現地でのサバイバル研究生活 3年住んだ場所なので、勝手はしれている。そのため、どうにかなるだろうと、住む場所を決めないでやってきた。はじめの一週間、アパートをさがすが、どこもだめ。短期滞在OKと銘打ってあるアパートであっても、短期とは3ヶ月からが常識。1ヶ月で貸してくれるところなどない。以前すんでいたアパートのゲストルームだと1000ドルで一ヶ月というのもあったが、、、 宿探しに難儀するであろうことは事前から推察はしていた。奥の手はラボにとまること。結局、1ヶ月間のソファーに寝泊りした。ラボにこもって研究するとはこのことである。 ラボで生活するのにはいくつかこまったことがある。主なものはシャワーと洗濯だ。シャワーは ジョンズ・ホプキンスの学部キャンパスには立派なアスレチックセンターがある。ここに目をつけた。ここには室内のバスケットコートやプール、そしてもちろんジムが完備されている。プールのシャワー室の設備もしっかりしていて、清潔。なんとシャンプーを買わなくても備え付けである。ということで、訪問学生なれど、その権利を十分に行使してアスレチックセンターの会員になり、風呂はクリア。 洗濯は町のコインランドリーに週に一度通った。「本来は」資料の入るはずのラボの引き出しは、汚れた衣服など生活用品がはいることに。寝床はソファーと、大学付属の雑貨屋で買ってきたブランケット。 とにかく充実した研究生活を送りました。 |
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